前田敦子と大島優子の卒業の違い | 村山涼一のマーケティング備忘録

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前田敦子は、内罰的な性格で知られる。その性格とセンターというポジションの違いからしばしば葛藤があった。


これを生来の気の強さで克服し、どんどん成長していくところに前田の魅力があった。


秋元は、その魅力をまだ未熟なAKBに移植しようと考えた。


前田の姿をAKBという記号としたかった秋元は、前田を前面に立てることでAKBブランドに仕立てていった。


つまり、前田というブランドをAKBに移植することで成り立っていた当時のAKBは、作られたブランドだったと言えよう。


一方大島優子は、優れた素質と、体育会と称された姿勢で周りをとりこにしていった。


これはファンはもちろんチームメイトたちをもである。


まずはチームKに広がった。そしてそれは、AKB全体にも広がった。


つまり、大島は内部から意味性を構築し、AKBというブランドを内部から作り上げたセンターだったのだ。

...

だからだろうか。


大島が去る方がAKBというブランドが変わった行くような気がする。そういう時だからこそ、生粋のAKBブランドを引き継ぐ渡辺麻友が1位になった気がする。